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トマポケ

野球のあれやこれやを語ります

引退後は体育教師の道へ-伊藤義弘

伊藤 義弘 いとう・よしひろ

1982年6月2日生まれ 福岡県出身

177cm 右投げ右打ち

東福岡高国学院大学JR東海千葉ロッテマリーンズ(2008〜2016)

※通算成績 257登板 6勝13敗1S 71H 防御率3.83

JR東海時代は都市対抗に出場。2007年に行われたドラフトで4位指名を受けてロッテに入団した。前年に退団した小林雅英の背番号30を与えられるなど期待がかかった。

 

 ルーキーイヤーの1年目から開幕一軍を掴むと、リリーフとして51登板を果たす活躍。荻野忠寛と共に、前年に退団したYFK薮田安彦藤田宗一小林雅英)の主力リリーフが抜けた穴を埋めるかのように働いた。

 150キロに迫るストレートとスライダー、シュートの横の揺さぶりで攻めるタイプ。59回を投げて与四球23、与四球率3.51とやや制球に難があり、被安打も55。勝ちパターンで出すのは怖く、ビハインドの場面など便利屋としての起用が多かった。

 2年目の2009年もイニング57回1/3を上回る63奪三振奪三振9.89を記録するが、防御率4.55と不安定さは残った。

 

 しかし、3年目となる2010年は安定したピッチングを見せて勝ちパターンに組み込まれると、30ホールドをマーク。シーズン最終戦では小林宏之に代わって9回に登板するなど、不安定になりつつあった小林宏を救う活躍も見せた。

 この頃になるとシュートを投げないようになり、ストレートとスライダーの2球種で押すようになっていた。スライダーは130キロ台の高速のものと遅いものを使い分けていたように見える。

 

 だが、4年目の9月1日の試合で陽岱鋼のバットを折り、打ち取った際に折れたバットが脚に直撃。血が出るほどの怪我を負ってしまう。

 さらに5年目には怪我を連発。わずか6試合の登板に終わってしまう。

 6年目の2013年は開幕一軍入りし、17試合に登板するが防御率は10.61。

 

 この後も登板数は1ケタ台に止まり、シュートを再び投げ始めるようになるなど試行錯誤が続いた。

 しかし14年、15年も1ケタ台に終わり、2016年に一軍登板が0に終わると自由契約に。

 08年〜11年にかけて50試合以上登板した疲労と、11年に負った怪我がたたっての故障だったか。リリーフとして主力級の活躍を見せていただけに、怪我で早期に引退したのはもったいなかった。

 

 引退後は日体大の大学院に進学し、体育教師を目指す。

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