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トマポケ

野球のあれやこれやを語ります

捕手までこなせるユーティリティ-中東直己

中東 直己 なかひがし・なおき

1981年10月5日生まれ 広島県出身

168cm 73kg 右投げ左打ち

広島工高-東亜大-JR西日本広島東洋カープ(2007〜2016)

※通算成績 315試合 打率.233(305-71)2本 16打点

 広島工高時代は外野手だったが、東亜大で捕手に転向。しかし、JR西日本では再び外野手に戻り、そのまま2006年の大社ドラフト5位で広島に入団した。

 

 プロでは1年目から31試合(スタメン14試合)に出場したが、打率.2000本、2打点と結果を残せず。しかし4盗塁と武器である俊足を見せつけることはできていた。また、この年には捕手としても2試合出場。器用さを見せつけた。

 

 2年目に怪我をして5試合の出場にとどまると、3年目の2009年には捕手登録に変更。これは出場機会を求めての転向だったように思うが、試合数は1とさらに減ってしまった。

 

 4年目の2010年になると、また外野手に登録変更。この辺りのシーズンは、どうにも起用法が中途半端で、いったいどこを守らせたいのか(守りたいのか)がわからなくなっていた。どちらを守るにせよ、ポジションを固定しないと出場どころか一軍すら怪しい状況だった。結局この年も15試合の出場に終わってしまい、もう後が無い。

 

 崖っぷちかと思われたが、2011年に外野手として固定されると、一気に64試合出場。やはり一つのポジションに集中したことが良かったようで、打率こそ.20634-7)だったが守備固めや代走で出場機会を得ることができた。

 

 翌2012年には少ない打数ながら打率.31029-9)を記録し、代打としても起用されていた。

 

 しかし2014年にキャリアハイとなる86試合に出場すると、翌2015年はわずか9試合の出場に落ち込んでしまった。これはルーキー・野間峻祥の加入が大きかったように思う。彼に出番を奪われた面もあった。

 

 さらに赤松真人天谷宗一郎などと比べると、起用の幅が狭かったことも原因の一つに見えた。赤松のように積極的に盗塁ができるタイプでも、天谷のように代打で起用できるタイプでもない。”捕手も守れる”ということ以外にも武器が欲しかった。

 

 2016年、遂に一軍出場機会が無くなるとオフに自由契約

 2011年から2014年まで毎年1試合に捕手として出場するなど面白い存在で、いざという時のためにベンチに置いておきたい選手。中途半端な時期もあったが、そういう便利さが35歳までプレーできた要因なのかもしれない。

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